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続・亜希の反抗 1-6
6.ノア
その店は繁華街ではなく、ビジネス街の中にあった。
千春は、若者や女性をターゲットにした居酒屋やレストランの入ったビルに足を踏み入れた。
「ここの地下」
さっさと階段を下りる千春の後ろを亜希は追いかけた。
階段を下りると、ドアの上に“星のしずく”という小さなネオンサインが光っていた。
千春は、なんのためらいもなくドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
入るとすぐにレジカウンターがあり、千春はそこでカードを見せてから中に入った。
中に入ってすぐ右にカウンターがある。
左の壁には、何枚かの絵が飾られていた。
千春は、絵よりも先に、まっすぐカウンターに向かった。
「ここって会員制なの?」
亜希が訊いた。
「ああ、これ?」
千春はさきほど提示したカードを亜希に見せた。
「会員証じゃなくて、プリペイドカードみたい。ここは、オーダーするたびに支払うんだけど、そのたびにお金を出すのってめんどうでしょ。だから先にこのカードにお金を入れといて、オーダーした分をここから引いていくわけ」
「じゃぁ、わたしも…」
「いいのよ。モデルに来た最初の日に、オーナーさんにここにつれて来てもらって、そのとき、これ、オーナーさんがくれたの。2万円分…。でも、それっきり来れなくて、だから誘ったの」
「そうなの。でも…」
「いいのよ。で、何にする?」
訊かれても、普段あまりお酒を飲まない亜希は、カクテルは詳しくない。
「わたし、あまりお酒強くないからソフトなものが…」
「そうなの?じゃぁ、甘いのがいい?」
「ええ」
亜希はうなずいた。
「ねぇ」
千春はカウンターの中に声をかけた。
「はい?」
「甘いの二つ、任せるから…」
千春は人なつっこい口調でバーテンダーにお酒をオーダーした。
「かしこまりました」
40歳くらいだろうか、少し痩せた感じの男だ。
丁寧な口調が似合っている。
彼の流れるような動きに亜希は思わず見とれた。
あっという間にカウンターの上にグラスが二つ置かれる。
見とれていたのは、千春も同じだ。
「すいません。カードを…」
バーテンダーに声をかけられた。
「ああ、カードね」
千春が、カードを渡すと、バーテンダーの男が、カードを機械に通し、また千春に返した。
絵は何枚かかかっていた。
「あそこに掛かってるやつかな?」
千春はグラスを持つと、歩き出した。
亜希は、千春の絵を見て驚いて立ち止まった。
「驚いた?今日もきつかったけど、これもきつかったわ」
背もたれが頭の上まできている大きな安楽椅子にもたれて、こちらをむいている千春の乳房の上下に縄が入っていた。
「おっぱいをぎゅって絞られたの」
千春が身につけているのは黒のキャミソールだけ。
下半身を覆うものはない。
乳房も片方はキャミからこぼれ出ている。
その乳房の上下に2本ずつ縄が食い込んでいた。
「縛られたときもきつかったんだけど、椅子に座らされて、後ろにもたれるでしょ。そしたら胸が反るじゃない。縄がぎゅっと締まって…それだけでもすっごくきついのに、それから腕を背もたれの後ろに回されたの」
腕は頭の上で、背もたれの後ろに回されていた。
「見えないけど、腕も縛られてるのよ。胸が締まって、息ができなくて…。足は痛いし…。あそこは弄られるし…」
右足はいすからこぼれ落ち、左足は膝を折り曲げて膝を立てた形で縛られていた。
股間を完全に晒した格好だ。
「そんなこともされるの…?」
「普通はだめよ、そんなの。ルール違反なんだけど…。彼は、まぁ…特別」
「ふーん」
なぜ特別なのかは、立ち入ったことだ。
亜希は、聞き流した。
「あそこをいじりながらじっとわたしの顔を見るの。そしたら…」
「そしたら?」
「あの人、催眠術師なんじゃないかな?じっと見つめられて…。息苦しいのよ。おっぱいだって、足だって痛いのよ。なのに、…なんか感じるの。わかる?」
亜希はあいまいにうなずいた。
わかるとも言いにくい。
「3回呼ばれて行ったの。でね、毎回同じポーズをさせられるんだけど、不思議よね。3回目は、もういじられなくても、縛られただけで感じるの…」
「そういう素質があったのかも?」
「そうかな?」
「相手によるかもしれないけど…」
「相手?亜希さんは、いい相手だったのかな?」
「さぁ」
亜希は笑っただけでそれ以上は答えなかった。
「亜希さんも絵を描くでしょ」
「ええ。描くっていうほどのものでもないけど…」
「絵のモデルをして、最初ね。どうして写真に撮らないのって思ったの。写真に撮っといて、後で写真見ながら描けばいいじゃないかって…」
「そうね。わたしなんかは、それでもいいんだけどね。写真に頼ると、観る力が衰えるって言うわね」
「観る目?」
「写真は、見たものをありのままに写すものでしょ。でも、絵は、描いてる人の心の中の形が描かれてるのよ」
画家は実景をコピーしているわけではない。
画家が描いているのは、その人の目に焼きついた印象なのだ。
「後で写真を見ればいいやって思って、そのとき大事なものを見逃す…らしいわ」
「わかるような気がするけど、モデルもずっと同じ表情ってできないから。特にこういうのでずっと同じ表情って無理でしょ」
「変わっていいのよ。…って言うより、変わって欲しいから、写真じゃだめなんだと思うの。写真は変わらないでしょ」
「どういうこと?」
「少しずつ変化していく表情から、画家は、顔を作るの。最初は恥ずかしさが出て、やがて痛みが増してきて、苦痛にゆがんでいく。写真は、その途中のどこかの表情を切り取るけど、上手な画家ならその両方の表情を描くことだってできるんだと思うわ」
「そういうことか…」
「よくはわからないけど…」
「彼ね、わたしを縛ってる間中、全く描かなかったの。絵のモデルっていうより、そういうプレイで呼ばれたみたいで…。でも、いつの間にか絵は出来上がってた」
「プレイ?」
「あは。お里が知れちゃうね。実は、そっちが本業なのよ」
「SMプレイってこと?」
「そう」
「どこか、そういうお店で働いてるの?」
「一応、お店にも出てるんだけど、呼ばれることもあって、って言うか、わたしは、そっちが多くて…」
「でも、縛られたりするんでしょ。怖くない?」
「そうやって、女の子を呼べるのは、特定の馴染みのお客さんだけよ。初めての知らない人のところには行かないわ」
「そうよね。びっくりした」
「興味あるの?」
「えっ?」
「お店に来たかったら紹介するわよ。クラブノアって言うの」
冗談のつもりなんだろう。
千春は笑っている。
「ありがとう。でも、もうおばさんだし…」
亜希も話をあわせた。
「あら、失礼な。わたしもおばさんってこと?」
「ああ、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」
亜希は慌てて謝った。
「うそよ。でも、うちの店は、30過ぎた人がけっこういるわ。縄は若い肌には馴染まないんだって…」
「何人くらいいるの?」
「さぁ?女の子は、店に雇われてるんじゃないのよ。女の子はモデルクラブに所属してるの。一般のモデルの子とは違うグループなんだけど…。そこのお店は会員制で、会員は、そういったモデルの女の子を店に呼べるわけ。店に出てる子もいるから、お店で選んでもいいんだけど…」
「そうなの」
「男女がセットでやってくるから、“ノア”っていうらしいわ。“ノア”って知ってる?」
「ノアの方舟?」
「そう、それ。…昔は、スナックだったんだけどね」
「スナック?…“方舟”っていうスナック?」
「ええ。知ってるの?」
知っている。
俊哉の母親がやっていた店だ。
「聞いたことがあるなって…」
「ママ、きれいよ。もう50が近いのに、肌なんか、つやっつやっなの。今でもモデルしてるわ。元のご主人がカメラマンで、ずっとママを取り続けてるの。すごくない?」
「元ご主人って、工藤さん?」
亜希は思わず、名前を口にしてしまった。
「あれ、もしかして亜希さん、まさか同業だったとか?」
「ううん。ちょっとそんな話を聞いたことがあるだけ…」
「ふーん」
千春は、何かを思いだそうとでもしているかのように亜希の顔をじっと見つめた。
続・亜希の反抗4-6
6.覚悟
亜希は、動けなかった。
目をそむけることもできない。
「また、もらしちゃったわね」
背中のほうで由美子の声がした。
(由美子さん…)
まだ幼さを感じさせる理沙の顔が、かつて生徒だった由美子の顔とだぶった。
亜希は、生徒だった由美子の前にお尻を突き出したことがある。
そのとき、俊哉に乳首をいじられて、股間に舌を這わしている由美子におしっこをかけてしまった。
由美子にいじられながら、俊哉を受け入れた。
久しく思い出すことも無かったが、忘れてはいない。
亜希は力をいれて太ももをぴったりと閉じた。
今にも体の中から外に飛び出そうな何かを内に閉じ込めるように…。
亜希の放尿が終わると、少女は何も言わずにどこかに行った。
「あの子は理沙っていうの。わたしの従姉妹なんだけどね」
「千春さんの従姉妹?ごめんなさい、おしっこ…かかっちゃった」
「だいじょうぶよ。着替えは持ってるから…」
千春は事も無げに答えた。
(着替え?)
おしっこをかけられることが着替えの問題なのか?
亜希は、あらためて祐二の言葉を思い返した。
“負けなければ勝てる”
自分よりはるかに若い少女なのに…。
亜希のまわりの輪が次第に縮まっていた。
男達の視線をどんな表情で受け止めればいいのか、亜希はひたすら男の視線をかわし続ける。
「どんな気分?」
由美子が亜希の耳元で囁いた。
「恥ずかしい」
声にならないほどの小さな声で亜希は答えた。
「そうじゃなくて、気持ちいい?」
(気持ちいい?)
あり得ない質問だ。
こんな姿をかつての教え子に見られることすら恥ずかしいのだ。
気持ちいいはずがない。
亜希は、自分の顔を覗きこむ由美子と視線を合わせた。
(由美子さんは、気持ちいいの?)
裸で足を開いて恥ずかしいところを人前に晒している自分に“気持ちいい?”と聞くぐらいだ。
由美子は、こういうのがいいのかもしれない。
不意に千春が亜希の股間に指を這わせ、すっと指を挿入した。
「濡れてるわよ」
(濡れてる?わたしが…?)
千春に言われて、亜希は初めてそのことに気がついた。
(感じてるの?わたし…)
若い男と目があった。
「見るだけ?使ってもいいの?」
男の一人が千春に話しかけた。
(使う?)
「どうぞ」
(どうぞ?)
男達は、亜希の目の前で、千春を四つんばいにさせ、前後から挿入した。
垂れ下がった千春の豊満な乳房が、男に突かれるたびに小刻みに揺れる。
やがてそれは、上下に激しく揺れだし、左右の乳房が不規則にぶつかり合った。
(使っていいか?…どうぞ)
直前の二人の会話。
そういうものなのかもしれないと思った。
「うっ」
小さくうめいて千春から離れた男は、亜希の前に立って、亜希の口の中に肉棒を入れてきた。
亜希の口に放出するつもりらしい。
亜希は、それを受け入れた。
男は、数回激しく突き入れて亜希の口に放出し、その後も亜希に丹念に残滓の処理をさせて亜希の口を解放した。
「この人もいい?」
別の男が、かたわらにいた由美子に聞く。
子どものような甲高い声だ。
「いいわよ」
亜希の意志など確かめることもなく由美子はOKした。
男もまた、亜希に話しかけもせず、亜希の股間をまさぐり、その中に挿入した。
「あっ…」
痛みもひきつりもない。
男のものがすんなりと根元まで亜希の中におさまった。
「気持ちいい?」
由美子はまた同じ質問をした。
「感じることと、好き嫌いとは無関係でしょ?」
(無関係?)
「見られるのは恥ずかしい?でも濡れてるわ」
確かにそうだった。
「あなたを使いたい男が、ほら、いっぱい寄ってきたわ。どう?」
(わたしを使いたい?)
何の会話もない。
男は、亜希の中にただ挿入するだけ。
どこの誰かも知らない男のペニス。
無理矢理犯されてきた昨日までとそう変わるものでもないが、不思議に惨めさは感じない。
ぞっとするような嫌悪感もなければ吐き気も感じない。
男の動きが激しくなった。
亜希は、子宮の奥をしぼめるように、そこに込めていた力を緩めた。
「あっ…」
とたんに声が出た。
同時に、一気に腰の奥から熱いものが湧き上がってくる。
もっと声を出したくなった。
「いい、いい、ああああぁぁぁ」
亜希が達したのを確認した男が、自分のものを亜希の口に持っていくと、亜希は大きく口を開いて、男のものを待ち受けた。
続・亜希の反抗2-1
第2章 罠
1.勧誘
「あっ」
急に千春が声を出した。
「何か?」
亜希は、無理に平静を装った。
「ううん。ごめんなさい。なんでもないの…」
記憶をたどっていた千春の表情が元に戻っている。
「遅くなって、ご主人はいいの?」
「ええ。今日は出張でいないの。だからだいじょうぶ」
「お子さんはいないの?」
「いるけど、実家に預けてあるから」
亜希は、言葉を選んだ。
「ねぇ、亜希さん」
千春が急に声を落とした。
「何?」
「わたしね、モデルしてた若い頃、工藤写真館の近くに住んでたの」
亜希は、千春が何を言い出すのか、亜希の言葉に聞き入った。
「工藤さんとこに息子さんがいるの。今、ボクサーだけど、彼が中学・高校生くらいだったかな。わたし、裕子ママのスナックでバイトしてたから、その子、俊哉って言うんだけど…その子とも顔見知りだったの」
「千春さん…」
亜希は、議員の妻であるという素性を隠したかったのだが、千春が思い出したのは、別のことのようだ。
亜希は緊張した。
「モデルって、お客さんが撮った写真はお客さんのものだから、写真を持ってないの。でも、要るでしょ、自分をPRするのに…、でも、プロのカメラマンに撮ってもらうほどでもないから、みんなたいてい、俊哉君に写真を撮ってもらってたのよ。でね…」
千春は、少しためらった。
「ごめんなさい。思い出しちゃった。亜希さんのこと」
なぜか千春は謝った。
「“ボディゾーン”の人でしょ?」
思いがけない言葉を千春の口から耳にした。
“ボディゾーン”
文化祭に俊哉が出品した、亜希の写真のタイトルだ。
しかし、作品に亜希の顔は写っていなかったはずだ。
「たまたま、わたしの撮影の日にプリントしてたの。あなたの写真が何枚も何枚も…。床じゅうに並んでたわ」
(わたしの写真?)
亜希は、千春の顔が見られなかった。
「やっぱりあなたモデルだったんじゃない」
千春は、亜希をモデルだと勘違いした。
「いえ…」
亜希は否定しようとしてやめた。
モデルと思われているほうがいい。
「あなたも…なの?」
千春が意味ありげに亜希の顔を覗きこむ。
「何が?」
「お腹」
「お腹?」
亜希には千春が言っていることがよくわからない。
「お腹を抱えて苦しんでる写真もあったわ」
(ああ、そういうことか…)
確か、俊哉にお腹を殴られて…そういう写真もあった。
「あなたもって…。千春さんも?」
「変でしょ…でもないか。お互い様だものね。お腹を殴られて、されたことがあったの。レイプじゃないわよ。そういう趣味の人だったの。苦しくて、息ができなくて、そこに無理矢理されて、動けないし、“いや”って声も出せないの。でも、なんか、わたし、そういうのが好きみたい」
殴られたいという女性がいる。
今、目の前に…
亜希は、驚いた。
お腹を殴られたとき…
亜希は記憶をたどった。
痛くて…息ができなくて…苦しくて…
写真を撮られて…
恥ずかしい格好なのに、苦しくて動けなくて…
恥ずかしいのに…
動けない…。
亜希の心臓の鼓動が早くなっていく。
亜希は、少し息苦しくなった。
(わたしも、そういうのが好きなのかも…)
「ねぇ、もう一度、モデルやってみない?」
唐突に千春が言った。
「モデル?」
予期せぬ誘いだ。
「あれって、なかなかやめられないものなのよ。わたしも、声がかかったら、また戻っちゃったし、あなたも戻りたいんじゃないかと思って…」
「わたしが、モデルに?」
「歳なんて関係ないのよ。わたしもやってるし…。その気なら、事務所に紹介してあげる。ああ、お店に出る出ないは本人の自由だから、気にしないで…」
「あっ、そうだ」
千春は、また何か思い出したようだ。
「工藤さんの写真、見たい?裕子ママの写真もあるわ」
「見られるの?」
「うん。見れるわ。彼のギャラリーがあるの。彼って、ここのオーナーさんね。自分の絵を飾ってるんだけど、…行く?」
「今から?」
「すぐ近くなの。だめ?」
「だめじゃないけど…」
「そうお。じゃぁ、決まり」
千春はすぐに電話した。
続・亜希の反抗2-2
2.オファー
千春は、さっきと同じような雑居ビルの地下に亜希を連れて行った。
「千春さん。ここって…」
そこは、“セント・ジョアン”というスナックだ。
「このビルの一番上がギャラリーなんだけど、鍵がかかってて、鍵はここのママが持ってるの」
「いらっしゃい」
カウンターから若い女性の声がした。
亜希と同じくらいの小柄な女性だ。
「美菜ちゃん」
千春が親しそうに声をかけた。
「ここのママで美菜子さん」
千春が亜希を美菜子に紹介した。
「美菜ちゃん。この人は亜希さん」
「美菜子です」
美菜子が頭を下げた。
「はじめまして、亜希です」
亜希も頭を下げた。
「知ってます」
「知ってるの?」
千春が美菜子に聞き返した。
「翔太さんのとこで、何回か…。お子さん連れて来られたでしょ」
「ああ、あのときの…」
亜希も思い出した。
「高校生だった?」
「ええ」
「千春」
店の奥から、男がやってきて千春に声をかけた。
「祐二さん。絵、見に来ました」
「そちらは?」
「お友達で、亜希さん」
「はじめまして…」
亜希はまた、お辞儀した。
「亜希さんもモデル?」
「昔ね。今は、描くほう。今日わたしがモデルに呼ばれた絵の教室の生徒さん」
「そうですか。描くほうですか…」
祐二は、ずっと亜希を見たまま目を離さない。
ただ見られているだけなのに、亜希はなぜか胸が苦しくなった。
祐二は、千春と亜希を、そのビルの最上階に連れて行った。
「倉庫みたいなものですよ」
そう言って、祐二は、扉のカギを開けた。
正面の壁に30点ほどの絵が飾られていた。
1枚の絵の前で亜希は立ち止まった。
(由美子さん?)
亜希の知っている女性に似ている。
俊哉に盲目的に従っていた女性だ。
「どうされました?」
「いえ…」
亜希は、少し離れてしまった千春の後を追いかけた。
横の壁には、数点の写真があった。
亜希は、写真に見入った。
亜希は、俊哉の母、裕子に直接あったことはない。
たた、俊哉の部屋で、ちらっと写真を見ただけだ。
撮影用の縛りでないことは一目でわかる。
痛いはずだ。
痛みは、痛みなのだ。
それが喜びだったり、快楽だったりはしない。
写真の裕子の表情も、それを物語っている。
千春は、亜希のことを同類だと言ったが、そんな痛みを、自分は求めているんだろうか?
亜希は自問した。
求めているとしたらどこまでの痛みなのか?
耐えられない痛みだったらどうなるんだろう?
耐えられない痛みまで望むるのだろうか?
「工藤というカメラマンなんですが…」
祐二が亜希に小声で話しかけた。
横で千春も亜希と同じように写真に見入っている。
「工藤写真館の方?」
「ご存知ですか?」
「いえ、お会いしたことはないですが、お噂は…」
亜希も小声で答えた。
「噂ですか…」
一般の人が工藤の噂を耳にすることなどあるはずもない。
「千春、悪いけど、美菜子のとこで、何か飲むもの作ってもらってきてくれるか?」
「わかったわ」
千春が出て行った。
「見入ってますね」
「えっ、ええ」
亜希は慌てて写真から視線をはずした。
「あちらで座りますか?」
祐二は、亜希を部屋の隅に置かれたテーブルと椅子の方に誘った。
「由美子をご存知ですか?」
祐二が亜希の横に座った。
「え?ええ、まぁ…」
「いえ、由美子の絵を見て驚いていたようだったから…」
「ちょっと…」
亜希は曖昧にお茶を濁した。
「元モデルじゃなくて、先生ですよね」
「えっ」
祐二にずばっと指摘されて、亜希は返す言葉がなかった。
「篠原亜希さんですよね」
さらに念を押された。
「千春は知ってるの?」
亜希は首を振った。
「そうですか。安心してください。誰にも言いません」
「どうしてわたしを?」
「わたしは、不動産を扱ってるし、建築関係の仕事もしている。政治家の方々とはいろいろ付き合いがあって、あなたの結婚式にも呼ばれてました」
千春がトレイに水割りを持って帰ってきた。
「おまちどうさま」
千春が、グラスをテーブルに並べるのを待って、祐二は切り出した。
「今度、あなたの絵を描かせてもらえませんか?」
「わたしを?」
議員の妻だと知って言っているのか?
亜希は祐二の表情をうかがった。
「返事は、今でなくていいです。ゆっくり考えて、その気になったら、連絡してください」
祐二は、名刺の裏に携帯の番号を書いて亜希に渡した。
「千春、悪いが、客をほったらかしてるんだ。後は、勝手に見てってくれるか?いいか?」
「ごめんなさい。忙しいのに…」
千春は、祐二を送り出そうと立ち上がった。
亜希も立ちあがったが、どうあいさつしていいものか、言葉に詰まった。
「連絡を待ってます」
祐二のほうが声をかけてきた。
「考えておきます」
祐二は出て行った。
「何の話だったの?」
祐二の乗ったエレベーターのドアが閉まると、すぐに千春が話しかけてきた。
「わたしがいない間、何話してたの?」
興味深そうに千春は亜希の顔を見た。
「モデルにならないかって…」
「ずっと?」
「ええ、まぁ…」
「で?」
「考えさせてくださいって…」
「そうか。急な話だものね。でも、もしよ、もし、縛りもOKっていうモデルをやるんだったら、祐二さんや工藤さんのモデルは請けたほうがいいわよ。二人とも自分が気に入ったモデルしか使わないから…。工藤さんは、お金出しても撮ってくれないし、祐二さんも描いてくれないの。二人が使ったモデルとなれば、仕事が来るわ」
「千春さんも来た?」
千春はうなずいた。
「チャンスだと思うわよ。よっく考えてね」
「うん」
亜希はうなずいた。
「わたしでよかったら、相談にも乗るし…」
「ありがとう」
亜希が実家に戻ると、拳人はもう寝ていた。
“遅かったわね”と言う母親の小言を聞き流し、亜希は自分の部屋にこもった。
机の引出しのカギを開けて、一冊のファイルを取り出した。
誰にも見せられないアルバム。
俊哉が撮った、亜希の写真。
千春が、この中のどの写真を見たのかは知らない。
亜希には、自分がモデルだという意識は全くなかった。
(モデルだったの、わたし?)
亜希は、今日見た写真と自分の写真を比べていた。
悲しいが、工藤の撮った写真ほどの迫力はない。
千春が口にした言葉を思い出した。
祐二のモデルになれば、仕事が来る。
(わたしにもできるのかしら…)
「俊哉…」
亜希は、引き出しの奥にしまってあった離婚届を取り出した。
続・亜希の反抗 2-3
3.離婚
「これが明細ですか?」
弁護士の本田は、亜希が持ってきた資料に目を通した。
「このマンションに愛人を住まわせているっていうことですか?」
「そうです。一応、議会などで遅くなったり、向こうで会食して飲んだりしたときに使っていると言って、事務所として経費処理してるんですが…」
「ホテル代わりの利用ですか?事務所としての妥当性はないですが、そうだと本人が認めてくれればの話です。水道光熱費、備品、消耗品…なるほどね、たまにしか使わない部屋にしては、電気代もガス代も高すぎますね。おっしゃる通り誰かがここで生活していると考えるのが妥当ですが…」
本田は、次に亜希が持ってきた写真を手にとった。
「この方が、愛人?」
早苗がまだキャバクラにいた頃、店で誠と撮った写真だ。
「ずいぶん若いですが、いつ頃?」
「7~8年前だと思います」
「そんな前から…」
「はい」
「で、これは?」
「それは最近で、そのマンションで、彼女が朝、ゴミを出しているところです」
早苗が、透明のゴミ袋を持っている。
「これ、興信所にでも依頼されたんですか?」
「ええ、まぁ」
亜希は、あいまいにうなずいた。
最後の一枚は、誠と早苗が腕を組んでマンションに入るところだ。
本田はしばらく考えてから、おもむろに口を開いた。
「夫婦の間のことは、正直、ご夫婦にしかわかりません。奥さんに言い分があるように、ご主人にも言い分があるかもしれません。ご主人の浮気が原因とおっしゃるので、その線で申し上げますと、もし、ご主人が、そんなことはないと主張された場合、ちょっとこの写真では厳しいですね」
「そうですか」
「お店で、店の女性とツーショットの写真を撮るのはよくあることですし、相手がプロの女性の場合、なかなかそれを浮気とは…。ただ、ご主人が頻繁に店通いして、生活が苦しいとかっていう場合は、別ですが…、あなたの場合、経済的に苦しいわけではない」
誠は、生活費として月々、決まった額をきちんと亜希に渡していた。
「それから、こちらの写真ですが、彼女は、そこの管理を任されているわけですから、ゴミを出すのは当然ですよね。それから、さっきのお店の写真、ずいぶん前ですし、メークがきつくて、この写真と同一人物かどうかも…」
ごみ出しの写真の彼女はノーメークだ。
本田に指摘されて初めて気がついた。
確かに言われてみれば、別人だと思えるほど違う。
「最後のこれは、何度も言いますが、彼女はここの管理を任されているので、いっしょに建物に入っても不思議ではない。愛人じゃなくても腕を組むことくらいはあるかもしれません。これがホテルとかなら話は別ですが…」
本田の指摘はいちいちもっともだ。
「ただ、こちらの支払い明細は有力ですね。月1万4千円の電気代。6千円のガス代。男が一人、ホテル代わりにときどき泊まるだけのマンションにしては、高すぎますし、その彼女に管理を任せる理由もあいまいです」
「離婚できますか?」
「どうですかね、なんとも保証はしかねますね。たとえば夫が暴力をふるうとか、お金をいれてくれないとか、愛人のところにべったりで家に帰ってこないとか…でしたら、理由としては十分なんですが…。ご主人はそうじゃありませんし、ご夫婦の仲がよくないというのは、やっぱりお互いに言い分のあることでしょうしね。不仲の原因がご主人の浮気だと言うには、もうちょっとはっきりした浮気の証拠があるといいんですが…。まぁ、今の段階では、ご夫婦で話し合われて、お互いに納得されるのが一番だと申し上げるしかないですね。調停ということになれば相応のことはしますが、向こうも弁護士を立てて本格的にということになれば時間もお金もかかります」
相手は県会議員だ。
本格的に戦うということはまずないに違いないが、もしそうなれば、それ相応の弁護士を雇うに違いない。
それを恐れるわけではないが、とかく民事は、依頼者が本当のことを言っているとは限らない。
嘘をつくわけではないが、自分に都合の悪いことはなかなか話さないものだ。
本田は、正直、気が重かった。
「そうですか。わかりました。ありがとうございました」
亜希は、深ぶかと頭を下げて、本田の事務所を後にした。
亜希は、以前に一度、離婚を申し出たことがある。
結婚して5年目。
息子の拳人が4歳のとき、思い切って離婚を申し出たが、拒否された。
誠の浮気は事実だが、夫婦としての生活を亜希が一方的に拒否しているのも事実だ。
どちらが先かを争ってもらちが開かない。
離婚のことはほとんどあきらめていた亜希だったが、考えが変わった。
弁護士事務所を出た亜希は、早苗の住むマンションに向った。
写真は興信所に依頼したものではない。
その写真を持ち込んだのは、早苗本人だ。
先週、突然、早苗から会いたいという電話をもらった。
今まで会って話をしたこともないが、誠の愛人を憎む気持ちなど亜希にはさらさらない。
亜希は早苗に会った。
驚いたことに、早苗の口から飛び出したのは、誠の悪口ばかり。
亜希が、離婚を拒否された話をすると、早苗は協力すると言って写真を持ってきたのだ。
「どうだったの?弁護士さん」
早苗が亜希に訊いた。
「裁判は、難しいだろうって…」
「どうして?」
早苗は、驚いて聞き返す。
浮気の張本人の早苗にしてみれば、誠の浮気は明確な事実だ。
疑う余地はない。
「あの写真じゃ無理だって…」
「どういうこと?」
亜希は、本田に言われた通りのことを早苗に伝えた。
「そうかぁ。スッピンだと別人かぁ。言うわね、弁護士も…」
早苗は笑い出した。
「じゃぁ、もっと決定的なやつを撮ればいいの?」
「うん。それでもいいけど、あなたとでなくてもいいの。世間に出るとまずいものがあれば、なんでもいいの」
「どういうこと?」
弁護士の言葉は、期待に沿うものではなかったが、方向は見えた。
事務所程度の不正経理では弱い。
あの程度の写真では浮気の実証にはならない。
具体的な浮気の証拠か離婚に応じざるを得ない弱みか、そのどちらでもいい。
要は、誠が離婚届にサインすればそれでいいのだ。
「わたしは裁判がしたいわけじゃないから…。離婚できればそれでいいから」
「ああ、脅すってこと?」
「脅すなんて…、でも、まぁ、そういうことかもしれないけど」
「わいろとか?レイプとか?」
「レイプって、そんなことあるの?」
亜希の表情が変わった。
「あるわよ」
早苗は思わせぶりに答えた。
「まさか?そんなこと…、訴えられたら…」
「大勢でするのが好きみたい。そういう仲間がいるの。10人くらいかな」
「大勢でレイプするの?」
「くじ引きか、順番か何か知らないけど誰かが女の人を連れてくるみたいなの。そういうのもOKっていう子もいるんだろうけど、そういうプロの女性は楽しくないらしいわ。だから、素人の女性を、お金か、弱みか、何かしらないけど、なんかそういう方法でつれてきては、大勢でやるんだって」
「誰から聞いたの?…本人」
「そう。自慢げに話してたわ」
「なんて人」
亜希は、不愉快そうに顔を曇らせた。
「でね、それをビデオに撮ってるらしいの」
「ビデオって…、自分たちも写るじゃない?」
「仮面をつけてるらしいわ。彼は金色の仮面よ」
「見たの?」
「ビデオは見たことないけど、仮面は見たわ。それをつけてやってきたのよ」
「早苗さんのとこに?」
「そう。ピンポーンって鳴って、ドアを開けたら、いきなり仮面の男なの」
「何なの?」
「玄関でわたしを羽交い絞めにして、声を出すな!って。レイプしたかったんじゃない?」
「わからなかったの?早苗さん」
「わかるわよ。だって来る前に“今から行くから”って電話して来たのよ。何が、声を出すな!よ。吹き出しそうだったわ」
「バカね。で、どうしたの?」
「レイプさせてあげたわ」
「お芝居したの?」
「そう。やめてぇーって…。いい年して、ほんとバカ」
早苗は、そんな男と結婚するつもりなのか、亜希は不思議な思いで、早苗の話を聞いた。
「だから、そのビデオがあるはずよ」
「でも、仮面をつけてるんでしょ」
「脅せればいいんでしょ?」
「そうだけど…」
「顔が写ってるかもしれないし、口だけでもけっこう誰だかわかるし、それに誰かが名前を呼んでるかもしれないし、知っている女性かもしれないし…」
「知ってる女性?」
「もしかしたらの話よ」
「そうね」
「どこかにあるはずよ。探してみたら?」
「でも、そんなものが表に出たら、早苗さんも困らない?」
「わたしが?どうして?」
「ごめんなさい。わたしが離婚したら、あの人といっしょになるのかと思って…」
「わたしがあの人と?まさか…、そんな気はないわよ。だから、気にしないで…」
早苗は笑って亜希を見た。
亜希には早苗の目的がどこにあるのかわからなくなった。
誠の悪口を並べながらも、妻の座に座りたいのだと思っていたが、今の言葉が嘘だとも思えない。
だが、早苗がお膳立てしてくれるなら、それはそれでありがたいことだ。
“チャンスだと思うわよ”
千春の言葉が胸に残っている。
今が、チャンスなのかもしれない。
早苗の申し出も…
千春に会ったことも…
祐二にモデルの依頼をされたことも…
亜希はそう思った。