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続・亜希の反抗 2-3
3.離婚
「これが明細ですか?」
弁護士の本田は、亜希が持ってきた資料に目を通した。
「このマンションに愛人を住まわせているっていうことですか?」
「そうです。一応、議会などで遅くなったり、向こうで会食して飲んだりしたときに使っていると言って、事務所として経費処理してるんですが…」
「ホテル代わりの利用ですか?事務所としての妥当性はないですが、そうだと本人が認めてくれればの話です。水道光熱費、備品、消耗品…なるほどね、たまにしか使わない部屋にしては、電気代もガス代も高すぎますね。おっしゃる通り誰かがここで生活していると考えるのが妥当ですが…」
本田は、次に亜希が持ってきた写真を手にとった。
「この方が、愛人?」
早苗がまだキャバクラにいた頃、店で誠と撮った写真だ。
「ずいぶん若いですが、いつ頃?」
「7~8年前だと思います」
「そんな前から…」
「はい」
「で、これは?」
「それは最近で、そのマンションで、彼女が朝、ゴミを出しているところです」
早苗が、透明のゴミ袋を持っている。
「これ、興信所にでも依頼されたんですか?」
「ええ、まぁ」
亜希は、あいまいにうなずいた。
最後の一枚は、誠と早苗が腕を組んでマンションに入るところだ。
本田はしばらく考えてから、おもむろに口を開いた。
「夫婦の間のことは、正直、ご夫婦にしかわかりません。奥さんに言い分があるように、ご主人にも言い分があるかもしれません。ご主人の浮気が原因とおっしゃるので、その線で申し上げますと、もし、ご主人が、そんなことはないと主張された場合、ちょっとこの写真では厳しいですね」
「そうですか」
「お店で、店の女性とツーショットの写真を撮るのはよくあることですし、相手がプロの女性の場合、なかなかそれを浮気とは…。ただ、ご主人が頻繁に店通いして、生活が苦しいとかっていう場合は、別ですが…、あなたの場合、経済的に苦しいわけではない」
誠は、生活費として月々、決まった額をきちんと亜希に渡していた。
「それから、こちらの写真ですが、彼女は、そこの管理を任されているわけですから、ゴミを出すのは当然ですよね。それから、さっきのお店の写真、ずいぶん前ですし、メークがきつくて、この写真と同一人物かどうかも…」
ごみ出しの写真の彼女はノーメークだ。
本田に指摘されて初めて気がついた。
確かに言われてみれば、別人だと思えるほど違う。
「最後のこれは、何度も言いますが、彼女はここの管理を任されているので、いっしょに建物に入っても不思議ではない。愛人じゃなくても腕を組むことくらいはあるかもしれません。これがホテルとかなら話は別ですが…」
本田の指摘はいちいちもっともだ。
「ただ、こちらの支払い明細は有力ですね。月1万4千円の電気代。6千円のガス代。男が一人、ホテル代わりにときどき泊まるだけのマンションにしては、高すぎますし、その彼女に管理を任せる理由もあいまいです」
「離婚できますか?」
「どうですかね、なんとも保証はしかねますね。たとえば夫が暴力をふるうとか、お金をいれてくれないとか、愛人のところにべったりで家に帰ってこないとか…でしたら、理由としては十分なんですが…。ご主人はそうじゃありませんし、ご夫婦の仲がよくないというのは、やっぱりお互いに言い分のあることでしょうしね。不仲の原因がご主人の浮気だと言うには、もうちょっとはっきりした浮気の証拠があるといいんですが…。まぁ、今の段階では、ご夫婦で話し合われて、お互いに納得されるのが一番だと申し上げるしかないですね。調停ということになれば相応のことはしますが、向こうも弁護士を立てて本格的にということになれば時間もお金もかかります」
相手は県会議員だ。
本格的に戦うということはまずないに違いないが、もしそうなれば、それ相応の弁護士を雇うに違いない。
それを恐れるわけではないが、とかく民事は、依頼者が本当のことを言っているとは限らない。
嘘をつくわけではないが、自分に都合の悪いことはなかなか話さないものだ。
本田は、正直、気が重かった。
「そうですか。わかりました。ありがとうございました」
亜希は、深ぶかと頭を下げて、本田の事務所を後にした。
亜希は、以前に一度、離婚を申し出たことがある。
結婚して5年目。
息子の拳人が4歳のとき、思い切って離婚を申し出たが、拒否された。
誠の浮気は事実だが、夫婦としての生活を亜希が一方的に拒否しているのも事実だ。
どちらが先かを争ってもらちが開かない。
離婚のことはほとんどあきらめていた亜希だったが、考えが変わった。
弁護士事務所を出た亜希は、早苗の住むマンションに向った。
写真は興信所に依頼したものではない。
その写真を持ち込んだのは、早苗本人だ。
先週、突然、早苗から会いたいという電話をもらった。
今まで会って話をしたこともないが、誠の愛人を憎む気持ちなど亜希にはさらさらない。
亜希は早苗に会った。
驚いたことに、早苗の口から飛び出したのは、誠の悪口ばかり。
亜希が、離婚を拒否された話をすると、早苗は協力すると言って写真を持ってきたのだ。
「どうだったの?弁護士さん」
早苗が亜希に訊いた。
「裁判は、難しいだろうって…」
「どうして?」
早苗は、驚いて聞き返す。
浮気の張本人の早苗にしてみれば、誠の浮気は明確な事実だ。
疑う余地はない。
「あの写真じゃ無理だって…」
「どういうこと?」
亜希は、本田に言われた通りのことを早苗に伝えた。
「そうかぁ。スッピンだと別人かぁ。言うわね、弁護士も…」
早苗は笑い出した。
「じゃぁ、もっと決定的なやつを撮ればいいの?」
「うん。それでもいいけど、あなたとでなくてもいいの。世間に出るとまずいものがあれば、なんでもいいの」
「どういうこと?」
弁護士の言葉は、期待に沿うものではなかったが、方向は見えた。
事務所程度の不正経理では弱い。
あの程度の写真では浮気の実証にはならない。
具体的な浮気の証拠か離婚に応じざるを得ない弱みか、そのどちらでもいい。
要は、誠が離婚届にサインすればそれでいいのだ。
「わたしは裁判がしたいわけじゃないから…。離婚できればそれでいいから」
「ああ、脅すってこと?」
「脅すなんて…、でも、まぁ、そういうことかもしれないけど」
「わいろとか?レイプとか?」
「レイプって、そんなことあるの?」
亜希の表情が変わった。
「あるわよ」
早苗は思わせぶりに答えた。
「まさか?そんなこと…、訴えられたら…」
「大勢でするのが好きみたい。そういう仲間がいるの。10人くらいかな」
「大勢でレイプするの?」
「くじ引きか、順番か何か知らないけど誰かが女の人を連れてくるみたいなの。そういうのもOKっていう子もいるんだろうけど、そういうプロの女性は楽しくないらしいわ。だから、素人の女性を、お金か、弱みか、何かしらないけど、なんかそういう方法でつれてきては、大勢でやるんだって」
「誰から聞いたの?…本人」
「そう。自慢げに話してたわ」
「なんて人」
亜希は、不愉快そうに顔を曇らせた。
「でね、それをビデオに撮ってるらしいの」
「ビデオって…、自分たちも写るじゃない?」
「仮面をつけてるらしいわ。彼は金色の仮面よ」
「見たの?」
「ビデオは見たことないけど、仮面は見たわ。それをつけてやってきたのよ」
「早苗さんのとこに?」
「そう。ピンポーンって鳴って、ドアを開けたら、いきなり仮面の男なの」
「何なの?」
「玄関でわたしを羽交い絞めにして、声を出すな!って。レイプしたかったんじゃない?」
「わからなかったの?早苗さん」
「わかるわよ。だって来る前に“今から行くから”って電話して来たのよ。何が、声を出すな!よ。吹き出しそうだったわ」
「バカね。で、どうしたの?」
「レイプさせてあげたわ」
「お芝居したの?」
「そう。やめてぇーって…。いい年して、ほんとバカ」
早苗は、そんな男と結婚するつもりなのか、亜希は不思議な思いで、早苗の話を聞いた。
「だから、そのビデオがあるはずよ」
「でも、仮面をつけてるんでしょ」
「脅せればいいんでしょ?」
「そうだけど…」
「顔が写ってるかもしれないし、口だけでもけっこう誰だかわかるし、それに誰かが名前を呼んでるかもしれないし、知っている女性かもしれないし…」
「知ってる女性?」
「もしかしたらの話よ」
「そうね」
「どこかにあるはずよ。探してみたら?」
「でも、そんなものが表に出たら、早苗さんも困らない?」
「わたしが?どうして?」
「ごめんなさい。わたしが離婚したら、あの人といっしょになるのかと思って…」
「わたしがあの人と?まさか…、そんな気はないわよ。だから、気にしないで…」
早苗は笑って亜希を見た。
亜希には早苗の目的がどこにあるのかわからなくなった。
誠の悪口を並べながらも、妻の座に座りたいのだと思っていたが、今の言葉が嘘だとも思えない。
だが、早苗がお膳立てしてくれるなら、それはそれでありがたいことだ。
“チャンスだと思うわよ”
千春の言葉が胸に残っている。
今が、チャンスなのかもしれない。
早苗の申し出も…
千春に会ったことも…
祐二にモデルの依頼をされたことも…
亜希はそう思った。