スポンサーサイト
新しい記事を書く事で広告が消せます。
続・亜希の反抗2-2
2.オファー
千春は、さっきと同じような雑居ビルの地下に亜希を連れて行った。
「千春さん。ここって…」
そこは、“セント・ジョアン”というスナックだ。
「このビルの一番上がギャラリーなんだけど、鍵がかかってて、鍵はここのママが持ってるの」
「いらっしゃい」
カウンターから若い女性の声がした。
亜希と同じくらいの小柄な女性だ。
「美菜ちゃん」
千春が親しそうに声をかけた。
「ここのママで美菜子さん」
千春が亜希を美菜子に紹介した。
「美菜ちゃん。この人は亜希さん」
「美菜子です」
美菜子が頭を下げた。
「はじめまして、亜希です」
亜希も頭を下げた。
「知ってます」
「知ってるの?」
千春が美菜子に聞き返した。
「翔太さんのとこで、何回か…。お子さん連れて来られたでしょ」
「ああ、あのときの…」
亜希も思い出した。
「高校生だった?」
「ええ」
「千春」
店の奥から、男がやってきて千春に声をかけた。
「祐二さん。絵、見に来ました」
「そちらは?」
「お友達で、亜希さん」
「はじめまして…」
亜希はまた、お辞儀した。
「亜希さんもモデル?」
「昔ね。今は、描くほう。今日わたしがモデルに呼ばれた絵の教室の生徒さん」
「そうですか。描くほうですか…」
祐二は、ずっと亜希を見たまま目を離さない。
ただ見られているだけなのに、亜希はなぜか胸が苦しくなった。
祐二は、千春と亜希を、そのビルの最上階に連れて行った。
「倉庫みたいなものですよ」
そう言って、祐二は、扉のカギを開けた。
正面の壁に30点ほどの絵が飾られていた。
1枚の絵の前で亜希は立ち止まった。
(由美子さん?)
亜希の知っている女性に似ている。
俊哉に盲目的に従っていた女性だ。
「どうされました?」
「いえ…」
亜希は、少し離れてしまった千春の後を追いかけた。
横の壁には、数点の写真があった。
亜希は、写真に見入った。
亜希は、俊哉の母、裕子に直接あったことはない。
たた、俊哉の部屋で、ちらっと写真を見ただけだ。
撮影用の縛りでないことは一目でわかる。
痛いはずだ。
痛みは、痛みなのだ。
それが喜びだったり、快楽だったりはしない。
写真の裕子の表情も、それを物語っている。
千春は、亜希のことを同類だと言ったが、そんな痛みを、自分は求めているんだろうか?
亜希は自問した。
求めているとしたらどこまでの痛みなのか?
耐えられない痛みだったらどうなるんだろう?
耐えられない痛みまで望むるのだろうか?
「工藤というカメラマンなんですが…」
祐二が亜希に小声で話しかけた。
横で千春も亜希と同じように写真に見入っている。
「工藤写真館の方?」
「ご存知ですか?」
「いえ、お会いしたことはないですが、お噂は…」
亜希も小声で答えた。
「噂ですか…」
一般の人が工藤の噂を耳にすることなどあるはずもない。
「千春、悪いけど、美菜子のとこで、何か飲むもの作ってもらってきてくれるか?」
「わかったわ」
千春が出て行った。
「見入ってますね」
「えっ、ええ」
亜希は慌てて写真から視線をはずした。
「あちらで座りますか?」
祐二は、亜希を部屋の隅に置かれたテーブルと椅子の方に誘った。
「由美子をご存知ですか?」
祐二が亜希の横に座った。
「え?ええ、まぁ…」
「いえ、由美子の絵を見て驚いていたようだったから…」
「ちょっと…」
亜希は曖昧にお茶を濁した。
「元モデルじゃなくて、先生ですよね」
「えっ」
祐二にずばっと指摘されて、亜希は返す言葉がなかった。
「篠原亜希さんですよね」
さらに念を押された。
「千春は知ってるの?」
亜希は首を振った。
「そうですか。安心してください。誰にも言いません」
「どうしてわたしを?」
「わたしは、不動産を扱ってるし、建築関係の仕事もしている。政治家の方々とはいろいろ付き合いがあって、あなたの結婚式にも呼ばれてました」
千春がトレイに水割りを持って帰ってきた。
「おまちどうさま」
千春が、グラスをテーブルに並べるのを待って、祐二は切り出した。
「今度、あなたの絵を描かせてもらえませんか?」
「わたしを?」
議員の妻だと知って言っているのか?
亜希は祐二の表情をうかがった。
「返事は、今でなくていいです。ゆっくり考えて、その気になったら、連絡してください」
祐二は、名刺の裏に携帯の番号を書いて亜希に渡した。
「千春、悪いが、客をほったらかしてるんだ。後は、勝手に見てってくれるか?いいか?」
「ごめんなさい。忙しいのに…」
千春は、祐二を送り出そうと立ち上がった。
亜希も立ちあがったが、どうあいさつしていいものか、言葉に詰まった。
「連絡を待ってます」
祐二のほうが声をかけてきた。
「考えておきます」
祐二は出て行った。
「何の話だったの?」
祐二の乗ったエレベーターのドアが閉まると、すぐに千春が話しかけてきた。
「わたしがいない間、何話してたの?」
興味深そうに千春は亜希の顔を見た。
「モデルにならないかって…」
「ずっと?」
「ええ、まぁ…」
「で?」
「考えさせてくださいって…」
「そうか。急な話だものね。でも、もしよ、もし、縛りもOKっていうモデルをやるんだったら、祐二さんや工藤さんのモデルは請けたほうがいいわよ。二人とも自分が気に入ったモデルしか使わないから…。工藤さんは、お金出しても撮ってくれないし、祐二さんも描いてくれないの。二人が使ったモデルとなれば、仕事が来るわ」
「千春さんも来た?」
千春はうなずいた。
「チャンスだと思うわよ。よっく考えてね」
「うん」
亜希はうなずいた。
「わたしでよかったら、相談にも乗るし…」
「ありがとう」
亜希が実家に戻ると、拳人はもう寝ていた。
“遅かったわね”と言う母親の小言を聞き流し、亜希は自分の部屋にこもった。
机の引出しのカギを開けて、一冊のファイルを取り出した。
誰にも見せられないアルバム。
俊哉が撮った、亜希の写真。
千春が、この中のどの写真を見たのかは知らない。
亜希には、自分がモデルだという意識は全くなかった。
(モデルだったの、わたし?)
亜希は、今日見た写真と自分の写真を比べていた。
悲しいが、工藤の撮った写真ほどの迫力はない。
千春が口にした言葉を思い出した。
祐二のモデルになれば、仕事が来る。
(わたしにもできるのかしら…)
「俊哉…」
亜希は、引き出しの奥にしまってあった離婚届を取り出した。