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続・亜希の反抗 1-6
6.ノア
その店は繁華街ではなく、ビジネス街の中にあった。
千春は、若者や女性をターゲットにした居酒屋やレストランの入ったビルに足を踏み入れた。
「ここの地下」
さっさと階段を下りる千春の後ろを亜希は追いかけた。
階段を下りると、ドアの上に“星のしずく”という小さなネオンサインが光っていた。
千春は、なんのためらいもなくドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
入るとすぐにレジカウンターがあり、千春はそこでカードを見せてから中に入った。
中に入ってすぐ右にカウンターがある。
左の壁には、何枚かの絵が飾られていた。
千春は、絵よりも先に、まっすぐカウンターに向かった。
「ここって会員制なの?」
亜希が訊いた。
「ああ、これ?」
千春はさきほど提示したカードを亜希に見せた。
「会員証じゃなくて、プリペイドカードみたい。ここは、オーダーするたびに支払うんだけど、そのたびにお金を出すのってめんどうでしょ。だから先にこのカードにお金を入れといて、オーダーした分をここから引いていくわけ」
「じゃぁ、わたしも…」
「いいのよ。モデルに来た最初の日に、オーナーさんにここにつれて来てもらって、そのとき、これ、オーナーさんがくれたの。2万円分…。でも、それっきり来れなくて、だから誘ったの」
「そうなの。でも…」
「いいのよ。で、何にする?」
訊かれても、普段あまりお酒を飲まない亜希は、カクテルは詳しくない。
「わたし、あまりお酒強くないからソフトなものが…」
「そうなの?じゃぁ、甘いのがいい?」
「ええ」
亜希はうなずいた。
「ねぇ」
千春はカウンターの中に声をかけた。
「はい?」
「甘いの二つ、任せるから…」
千春は人なつっこい口調でバーテンダーにお酒をオーダーした。
「かしこまりました」
40歳くらいだろうか、少し痩せた感じの男だ。
丁寧な口調が似合っている。
彼の流れるような動きに亜希は思わず見とれた。
あっという間にカウンターの上にグラスが二つ置かれる。
見とれていたのは、千春も同じだ。
「すいません。カードを…」
バーテンダーに声をかけられた。
「ああ、カードね」
千春が、カードを渡すと、バーテンダーの男が、カードを機械に通し、また千春に返した。
絵は何枚かかかっていた。
「あそこに掛かってるやつかな?」
千春はグラスを持つと、歩き出した。
亜希は、千春の絵を見て驚いて立ち止まった。
「驚いた?今日もきつかったけど、これもきつかったわ」
背もたれが頭の上まできている大きな安楽椅子にもたれて、こちらをむいている千春の乳房の上下に縄が入っていた。
「おっぱいをぎゅって絞られたの」
千春が身につけているのは黒のキャミソールだけ。
下半身を覆うものはない。
乳房も片方はキャミからこぼれ出ている。
その乳房の上下に2本ずつ縄が食い込んでいた。
「縛られたときもきつかったんだけど、椅子に座らされて、後ろにもたれるでしょ。そしたら胸が反るじゃない。縄がぎゅっと締まって…それだけでもすっごくきついのに、それから腕を背もたれの後ろに回されたの」
腕は頭の上で、背もたれの後ろに回されていた。
「見えないけど、腕も縛られてるのよ。胸が締まって、息ができなくて…。足は痛いし…。あそこは弄られるし…」
右足はいすからこぼれ落ち、左足は膝を折り曲げて膝を立てた形で縛られていた。
股間を完全に晒した格好だ。
「そんなこともされるの…?」
「普通はだめよ、そんなの。ルール違反なんだけど…。彼は、まぁ…特別」
「ふーん」
なぜ特別なのかは、立ち入ったことだ。
亜希は、聞き流した。
「あそこをいじりながらじっとわたしの顔を見るの。そしたら…」
「そしたら?」
「あの人、催眠術師なんじゃないかな?じっと見つめられて…。息苦しいのよ。おっぱいだって、足だって痛いのよ。なのに、…なんか感じるの。わかる?」
亜希はあいまいにうなずいた。
わかるとも言いにくい。
「3回呼ばれて行ったの。でね、毎回同じポーズをさせられるんだけど、不思議よね。3回目は、もういじられなくても、縛られただけで感じるの…」
「そういう素質があったのかも?」
「そうかな?」
「相手によるかもしれないけど…」
「相手?亜希さんは、いい相手だったのかな?」
「さぁ」
亜希は笑っただけでそれ以上は答えなかった。
「亜希さんも絵を描くでしょ」
「ええ。描くっていうほどのものでもないけど…」
「絵のモデルをして、最初ね。どうして写真に撮らないのって思ったの。写真に撮っといて、後で写真見ながら描けばいいじゃないかって…」
「そうね。わたしなんかは、それでもいいんだけどね。写真に頼ると、観る力が衰えるって言うわね」
「観る目?」
「写真は、見たものをありのままに写すものでしょ。でも、絵は、描いてる人の心の中の形が描かれてるのよ」
画家は実景をコピーしているわけではない。
画家が描いているのは、その人の目に焼きついた印象なのだ。
「後で写真を見ればいいやって思って、そのとき大事なものを見逃す…らしいわ」
「わかるような気がするけど、モデルもずっと同じ表情ってできないから。特にこういうのでずっと同じ表情って無理でしょ」
「変わっていいのよ。…って言うより、変わって欲しいから、写真じゃだめなんだと思うの。写真は変わらないでしょ」
「どういうこと?」
「少しずつ変化していく表情から、画家は、顔を作るの。最初は恥ずかしさが出て、やがて痛みが増してきて、苦痛にゆがんでいく。写真は、その途中のどこかの表情を切り取るけど、上手な画家ならその両方の表情を描くことだってできるんだと思うわ」
「そういうことか…」
「よくはわからないけど…」
「彼ね、わたしを縛ってる間中、全く描かなかったの。絵のモデルっていうより、そういうプレイで呼ばれたみたいで…。でも、いつの間にか絵は出来上がってた」
「プレイ?」
「あは。お里が知れちゃうね。実は、そっちが本業なのよ」
「SMプレイってこと?」
「そう」
「どこか、そういうお店で働いてるの?」
「一応、お店にも出てるんだけど、呼ばれることもあって、って言うか、わたしは、そっちが多くて…」
「でも、縛られたりするんでしょ。怖くない?」
「そうやって、女の子を呼べるのは、特定の馴染みのお客さんだけよ。初めての知らない人のところには行かないわ」
「そうよね。びっくりした」
「興味あるの?」
「えっ?」
「お店に来たかったら紹介するわよ。クラブノアって言うの」
冗談のつもりなんだろう。
千春は笑っている。
「ありがとう。でも、もうおばさんだし…」
亜希も話をあわせた。
「あら、失礼な。わたしもおばさんってこと?」
「ああ、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」
亜希は慌てて謝った。
「うそよ。でも、うちの店は、30過ぎた人がけっこういるわ。縄は若い肌には馴染まないんだって…」
「何人くらいいるの?」
「さぁ?女の子は、店に雇われてるんじゃないのよ。女の子はモデルクラブに所属してるの。一般のモデルの子とは違うグループなんだけど…。そこのお店は会員制で、会員は、そういったモデルの女の子を店に呼べるわけ。店に出てる子もいるから、お店で選んでもいいんだけど…」
「そうなの」
「男女がセットでやってくるから、“ノア”っていうらしいわ。“ノア”って知ってる?」
「ノアの方舟?」
「そう、それ。…昔は、スナックだったんだけどね」
「スナック?…“方舟”っていうスナック?」
「ええ。知ってるの?」
知っている。
俊哉の母親がやっていた店だ。
「聞いたことがあるなって…」
「ママ、きれいよ。もう50が近いのに、肌なんか、つやっつやっなの。今でもモデルしてるわ。元のご主人がカメラマンで、ずっとママを取り続けてるの。すごくない?」
「元ご主人って、工藤さん?」
亜希は思わず、名前を口にしてしまった。
「あれ、もしかして亜希さん、まさか同業だったとか?」
「ううん。ちょっとそんな話を聞いたことがあるだけ…」
「ふーん」
千春は、何かを思いだそうとでもしているかのように亜希の顔をじっと見つめた。