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美菜子の恋1-1
1.変わった人
「いらっしゃい…お一人?」
小柄な女だ。
178cmの俺の胸までしかない。
「初めてね、どうぞ」
彼女は、カウンターの席を勧めた。
カウンターと、奥にテーブルが4つの小さな店だ。
テーブルは2つ埋まっていた。
カウンターには3人。
仲間なんだろう、賑やかにしゃべっている。
誰も俺のほうは見ない。
「何にします?」
「バーボン…ある?」
「ええ、ありますけど…」
「何があるの?」
「アーリータイムズ…かな?ごめんなさい。私、お酒詳しくないの」
俺は、吹き出した。
スナックのママが、いきなり口にするセリフとはとても思えない。
「じゃぁ、そのアーリータイムズかな?ってのもらいましょうか」
「もう…」
美菜子は、眉間にしわを寄せた。
なかなかいい女だ。
「どうするの?ロックでいいのかしら?」
「ああ、そうして」
「はい。私、美菜子っていいます。よろしく」
美菜子は、簡単に挨拶をして、バーボンを置いた。
「こちらこそ」
店の奥に小さな厨房が見えた。
そう言えば、昼から何も食べていない。
「何か食べるもの、作れる?腹が減ってる」
「おにぎりあるけど、食べる?」
美菜子は、すぐに答えた。
俺は、また吹き出した。
セント・ジョアンでバーボンにおにぎりだ。
「そりゃ、ありがたいけど…そんなものあるの?ここ」
「ううん。私が食べようと思って、さっき作ったの。そしたら、お客さんが来ちゃって…」
最後は、小声で俺の耳元に顔を近づけて話した。
「だから…あげる」
「いいの?そんなことして…」
「いいのよ。おにぎりやさんじゃないんだから…。そのかわり、まずくても食べてよ」
美菜子は、ちょっと、奥へ行き、すぐにお皿にのったおにぎりを持ってきた。
「どうする?インスタントでよければお味噌汁もあるけど…」
「いや、それはいいよ」
さすがに、味噌汁まですする気にはならない。
それでも、美菜子は、お茶を添えた。
「ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
美菜子が微笑んだ。
その笑い顔に見覚えがあった。
「俺は、工藤っていうんだけど…どこかで会ったことないかな?」
美菜子は、じっと俺の顔を見つめた。
「会ったことはないけど…、工藤さんって、工藤俊哉さんでしょ。ボクサーの…」
「そうだけど…」
俺は、はっきりと思い出した。
「そうか。試合、見に来てくれてたね」
「ええ…」
「ラウンドごとに、あなたのほうを見てたでしょ。気づかなかった?」
「気づいてたけど…わたしを見てたの?」
美菜子は、試合のようすを思い出すように答えた。
「ああ…そのつもりだったんだが…まぁ、よく見えなかったんで…」
「そうね。ぱんぱんに腫れてたものね…だいじょうぶなの目は?」
「だめみたいだな」
「悪いの?」
「悪いよ。あれだけいつも殴られて、いいわけがない」
「そうね。いつも、終わると、顔がぱんぱんに腫れてて…」
「いつもって?…いつも見てくれてたの?」
「ええ、こっちで試合があるときは、たいてい…」
「そう言えば…」
そう言えば、ずっと、この目を感じていたような気がする。
「ねぇ、これ入れといていい?」
厨房から出た美菜子が、さっきあけたボトルを差し出した。
「ああ、そうしてくれる?」
俺は、気軽に応じた。
(ここなら通ってもいい)
「はいこれ」
美菜子は、アスパラのベーコン巻きを差し出した。
オーダーしていない。
「これって…」
俺の好物だ。
「サービスよ」
「いや、そうじゃなくて…俺の好物だ」
「あっ、そうなの。よかった」
(偶然か。そりゃそうだ、そんなこと知っているはずがない…どうかしている)
「ボクシング、好きなのか?」
「ううん。あんまり」
「ほう。で、どうして俺の試合を…」
「お客さんにね…好きな人がいて、誘われて…」
「俺のファンなのか、その人?」
「その人は、あなたじゃなくて、相手の人のファンだったのよ。試合中に、ああだ。こうだって、あなたの悪口言うし、あんまり好きな客じゃなかったから、つい、あなたの応援したくなって」
美菜子は、また顔を近づけて、小声で言った。
「で、その試合、俺は勝ったのか?負けたのか?」
「あなたが勝ったわ」
「そうか」
「でも、勝った人の顔とは思えなかった。ひどい顔してたわよ」
「そうだろ。いつものことだ」
「で、そのお客、いやなやつで、負けた腹いせであなたの悪口ばかり言うの。腹しか殴れない不器用なやつって…。不器用だからってどこが悪いの?それしかできないからって、それがなんなの。器用な相手にそれで勝ったじゃない。腹が立ったから、すぐに帰ってきた。それからはひとり…」
「一人で、見に来てたのか?俺の試合を…」
「ええ…変?」
「いやぁ、そうじゃないが…変わった人だ」
「変ってるのは、お互い様…でしょ」
「ふっ…そうだな。俺が言えるセリフじゃないな」