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晴美の就活1-5
「これ、西崎先生が貸してくれるそうだ」
慎吾は、そう言って菜月のテーブルの上に分厚い資料の束を置いた。
「ありがとう。予備校のバイトが忙しくて、卒論、手付かずなんだ。助かったわ」
「就職口も紹介できるけどって言ってたぞ」
「危ない、危ない。そんなこと頼んだら何されるかわかったもんじゃない」
「何されるかはわかってるけどな…」
慎吾が笑った。
「確かに…」
菜月は、ふっと鼻で笑って、資料をバッグにしまった。
「で、晴美はその後どんな感じ?」
「単語テストを始めたみたいだ」
「そうなの。もしかしてご褒美付き?」
「らしいな」
「恵子と同じね」
菜月は、晴美の前に健作に英語を教えていた恵子とも親しかった。
「ああ、でも、恵子は、自分から言い出したんだけどな」
「恵子、坊やを弄るのが趣味だったし…」
「今回は、あいつ、わざと単語を知らない振りしたらしい」
「あんたの入れ知恵じゃないの?」
「俺は、何も言って無いよ」
「そう。じゃぁ、その子が自分で?」
「ああ」
「優秀ね。ちゃんと学習してるってわけだ」
「実際、けっこう頭いいからな。あいつ…」
「あーあ、かわいそうに晴美。…騙されちゃって」
菜月は上目づかいに慎吾を見た。
「何だよ、その目は…。家庭教師を晴美に振ったのはお前だろ」
「だって恵子の後だよ。しかも、その恵子の紹介ときたら、誰だって恵子と同じだと思うに決まってるわ。わたしはそうまでして留学しようとも就職しようとも思わないもの」
恵子は、留学が決まって家庭教師を辞めるとき、西崎教授に菜月を推薦したのだ。
「西崎に呼ばれたときは、本当にどうしようかと思ったわ。断るに断れないし…。晴美がいて助かったわ」
「かわいそうに晴美…」
慎吾が、菜月のセリフを取った。
「よく言うわ。断るなら、他の子を紹介しろって言ったくせに…。それに、実際、晴美を紹介したのは慎吾でしょ」
「お前が、自分からは言えないって言うから…」
「共犯よ」
「犯罪なのか?」
「未必の故意」
「そうだな」
「資料、ありがとうね」
菜月は、さっさと席を立った。
(見返りを受け取ったら、未必じゃないだろ)
慎吾は、テーブルに載った伝票を持ってレジに向った。
晴美は、西崎の講義をそっちのけで、今日の単語テストの問題を考えていた。
テストを始めて、健作は前回までで7回連続合格点を取った。
後1回で、約束の8連続ということになる。
「すごいわね。次もがんばってね」
晴美は、そう言ってにこやかに健作を励ましたが、笑いごとではなかった。
だんだん出題範囲を広げるが、健作はそれでも合格していく。
長文読解での単語の質問も少しだが減ってきていた。
喜んでいいのか悪いのか。
(どうしよう。次も合格したら?まさか、できないとは言えないし…)
「井上君」
講義が終わって、教室を出たところで教授の西崎に呼び止められた。
「はい」
「ちょっと来てくれるか?」
「あっ…はい」
晴美は、教授室に一緒に入った。
「あのぅ、何でしょう?」
西崎は、自分だけ椅子に座った。
「君、メイド喫茶でアルバイトをしてるって?」
「はい。ああ、でも、もう辞めました」
西崎は、眉間にしわを寄せて困ったような表情だ。
(やっぱり、まずかったかな?)
「それが…何か?」
晴美は、平静を保ってわざとそう聞いた。
「何かって…君。どんなバイトをしていようと君の自由だが…」
「でも、メイド喫茶って、喫茶店ですよ」
「そんなことはわかってる」
西崎が少し声を荒げた。
「ダメなんですか?」
「ふーっ」
西崎が呆れ顔でため息をついた。
「ダメかどうかは、理事長のほうで判断する。一応、伝えておいたので、今日は少し早めに行ってくれないか?奥さんから話があるそうだ」
(何よ。メイド喫茶よ。風俗じゃないんだから…。そんな大騒ぎするようなこと?それに何もすぐに伝えなくってもいいじゃない)
晴美は腹が立ったが、心の中で、まずかったかなと思う気持ちもないではなかった。
言われたとおり、授業の時間よりも1時間ほど早く出向いた。
「ごめんなさいね。わざわざ早く来てもらって…」
美代子は、普段どおりの表情で晴美を迎えた。
「いいえ」
「西崎先生から聞いたんですけど…」
晴美は、身構えた。
「メイド喫茶でアルバイトをなさってたとかって…」
「はい。でも、もう辞めましたけど…」
「そう。辞めたのは、うちで家庭教師を頼んだから?」
「えっ、ええ、まぁ」
晴美は美代子が何を言いたいのかわからず、どう答えていいのかわからなかった。
「うちの家庭教師だけなら、あなたがどんなバイトをしてても問題ないの。ただ、あなた、教員志望でしょ。明星学園は女性とのしつけが厳しいの、知ってるかしら?」
晴美は、明星学園のことなどほとんど知らなかったが、まさか知らないともいえないので、うなずいた。
「特に新任の先生は、いろいろ情報が飛び交うの。そんなことが保護者の間に知れたら…」
美代子は、少し間を置いた。
「すいません」
晴美は、教師として採用するという話が消えたのだと思った。
教師になれないのなら、ここで家庭教師のバイトを続ける意味も無い。
「ううん。謝らなくてもいいの。さっき健作の部屋を覗いたんだけど、帰ってくるなり、あの子ずっと英語の勉強してるのよ。最近はずっとそう。あなたのおかげだわ」
「そう…なんですか…」
「メイド喫茶のことは、主人と相談してみます。悪いようにはしないから。健作のことをよろしくお願いします」
美代子が晴美に頭を下げた。
「いえ、こちらこそ…」
クビにならずにはすみそうだ。
教員の道も閉ざされずにすむかもしれない。
晴美は、ほっとして少し早いが健作の部屋に入った。
「ちょっと早いけど、テスト始める?」
「待ってよ。まだ、早いじゃない。ちゃんと時間になってから…」
健作の意気込みはかなりのものだ。
健作は、顔も上げずに机に向って一生懸命単語を覚えている。
(クビがつながってるのはコスプレ写真のおかげか…)
晴美は、健作との約束を破るわけにはいかなくなった。
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