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知美の恋人1-6
6.お前を、うちに泊めるから
辰夫が風呂から出ると、もうカレーの香りが部屋に漂っていた。
(手早いなぁ)
本当に料理は得意なのかもしれない。
「ねぇ、先生」
「なんだ?」
「これ、本当に先生の?わたしにぴったりなんだけど…」
辰夫と知美ではサイズが3つは違う。
「お前、いつも寝転んで本読んでるだろ。だから、着替えがあったほうがいいかなって思ったわけだ」
(嘘も方便だ)
「わたしに買ってくれたの?まじ?」
「ここで着るだけだけだから、なんでもいいだろ?」
(ダサいとかセンスが悪いとか言うに違いない)
「へぇー、先生、優しいんだね」
(えっ?)
素直に信じられると、多少の罪悪感を感じたりする。
「何よ」
「いや、女の子に優しいといわれたのは初めてのような気がする」
知美は、自分が辰夫に生徒ではなく女の子と意識されたことが嬉しかった。
「できたよ。食べる?」
「すごいな。お前、本当に料理できるんだ?」
「カレーだよ。料理ってほどのもんでもないでしょうに」
知美のカレーは、けっこう美味しかった。
辰夫は、食べるのが早い。
ものの数分でお皿は空になった。
「美味しかったよ」
そう言うと、もう自分の食器を片付けだした。
「早っ」
「俺、小さい頃に母親が亡くなって、ずっと親父と二人暮らしだ」
「そうなんだ」
「親父と二人の食事ってのが耐えられなくてな。とにかく早くその場から逃れたくて…、で、まぁ、食べるのが早くなったってわけだ」
「ふーん。うちはいつもわたしひとりだから、マイペース」
マイペースというより、かなり遅い。
「あのさ、ちょっとお前の家に行って来るから、ここにいろ」
「なんで?」
「お母さん、心配してるだろ?」
「わたし、家には帰らないよ」
「お前をうちに泊めるからって話してくる」
「泊めてくれるの?えっ…でも、待って、そんなこと…だめだって」
「じゃぁ、家に帰るか?」
知美は首を振った。
「“いい”って言うわけないじゃん」
「言ってみなきゃ、わかんないだろ」
「わかるわよ」
「お母さんが心配して、捜索願とか出されたら困るだろ」
知美は、母親の佳美が自分のことを心配するなどと思ってもいなかった。
「“見つかりました。塾の先生のところにいました”って、まずいだろ?」
しかし、喧嘩して飛び出してきたのだ。
心配するかもしれない。
知美はうなだれた。
「俺だけの問題じゃなくて、塾全体に迷惑かかるだろ」
確かに、格好のワイドショーネタだ。
「で、お母さんがだめだって言ったら?」
「どうしてもダメなときは、俺がどこかに泊まるよ。お前の家に泊めてもらおうかな」
「なにそれ?」
「とにかく、お母さんと話してくる。電話するから、ここにいろ。いいな」
「ねぇ、先生」
「何?」
「さっきわたしが話したことは、お母さんには言わないでね」
「お母さん、Mなんですか?ってか?」
「ばか、違うわよ。お母さんの浮気をわたしが知ってるってこと」
「言わないよ」
辰夫は、不安そうに玄関まで付いてきた知美をぎゅっと抱きしめた。
「どこにも行くな。ここにいろよ」
辰夫は念を押した。
知美の目に涙がたまっている。
「だいじょうぶだ。心配するな」
不意に辰夫の唇が近づいてくる。
(ウソ?)
軽く唇が触れただけのキス。
「じゃぁ。鍵かけといてくれ」
何事もなかったかのように辰夫は出て行った。
出かける夫を送り出す妻。
ドラマの中の夫婦みたいだ。
こぼれかけた涙が、どこかに消えてなくなった。
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