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知美の恋人1-4
4.佳美
「知美さんの国語を担当している武田といいます。すいません、こんなところに呼び出して」
「知美がお世話になっています」
辰夫は、知美の母、佳美に会うのは2回目だ。
年度初めに催された保護者懇談会の時に一度会っているが改めて名乗った。
「本来、塾でお話しするのが筋なんですが、申込書の住所がうちの近所だったもので、わざわざ塾に来てもらうより、近くで話したほうがいいかなと思いまして」
辰夫のマンションに程近いコーヒーショップ、馴染みの店だ。
「で、知美が何か?」
「成績がどうっていうことじゃないんです」
辰夫は少し間をおいて言葉を選んだ。
「最近、知美さん、なんかちょっと変かなって思うことがあって…。なかなか帰らないんですよ。授業が終わって、今は受験生に教室を一部屋解放して自習室として使ってもらってるんですが、その自習室が閉まっても空いている教室にいたり、塾を出ても、駅周辺の本屋さんにいたり…」
佳美の表情には変化はない。
「家に帰りたくないっていうような感じなんですよ。自習室でも勉強してるわけじゃなくて本読んでるみたいだし…、別に悪いことしてるわけじゃないので、とりたててどうって言うほどのことでもないんですが、大事な時期ですし、お母さんの耳には入れておこうかと思いまして…」
「そうなんですか…。まぁ、わたしが仕事で帰りが遅いので、早く帰ってもひとりですし…、それで…かもしれないですけど…」
“知ってます”という感じの答えだ。
「知美さん、お母さんとよく話をしますか?」
「は?知美が何か、そんなことを言ったんでしょうか?」
「すいません、不躾に…。いえ、知美さん、ご両親のことはあまり話しません。授業が終わるとよくわたしのとこに来て質問したり、学校であったこと、友達のこととかいろんな事を話してくれるんですが、ご家族の話題はないんです。それが気になりまして…」
「はぁ」
佳美の表情が曇った。
「すいません。顔を合わす時間もあまりないので…」
「いえ、そんな深刻なことでもないとは思うんですが、やっぱり親子は仲がいいほうがいいですし、溝みたいなものがあるんだとしたら、浅いうちに修復したほうがいいでしょうし…。まぁ、わたしなんかがおせっかいに横から口を出すようなことでもないかとは思うんですが」
「溝…」
佳美は、聞き取れないくらいの小さな声で辰夫の言葉を繰り返した。
「あのぉ、知美さん、お父さんとはどうなんですか?」
「えっ…」
「いえ、彼女のわたしへの接し方は、他の子とはちょっと違うような気がして…。何て言うか、お父さんみたいな感じなのかなって思ったもんですから…」
「実は、離婚したんです」
「あっ…、すいません。何も知らずに余計なことを…」
「ずっと別居みたいなものだったので…」
佳美はうなだれてしまった。
「そうなんですか」
辰夫は、周りをうかがった。
辰夫には馴染みの店だ。
ここで泣かれるのは、正直、困る。
「あの、お母さん、ちょっと場所を変えさせてもらっていいですか?」
佳美も察したのだろう。黙ってうなずいた。
店を出たところで行く場所もない。
「もう少し、彼女のこと聞きたいんですけど…。わたしのマンション、すぐそこなんですが、よかったら寄ってもらえませんか?」
「いいんですか?」
逆に佳美に聞き返された。
「こちらこそ、ちらかったところですけど…」
「知美には悪いことをしました」
歩きながら、佳美が話し出した。
「それは、わたしの部屋で話しましょう」
辰夫は佳美の話をさえぎった。
また、泣かれてはかなわない。
部屋に入るまで無言で歩いた。
玄関を入ると、すぐにバスルーム。
洗面台は、バスルームの中だ。
「顔を洗うのはここです」
辰夫は、バスルームの扉を開けた。
「タオル、新しいのを持ってきますから…」
佳美は、辰夫が自分をマンションに案内した理由にやっと気づいた。
「ありがとうございます」
「シャワー使ってもらってもかまいませんよ」
それほどひどい顔になってるのかと思うと、佳美は急に恥ずかしくなって、急いで鏡を覗き込んだ。
もともと仕事帰り。
急いでいたのでメークを直してはいなかった。
そこにいく筋かの涙が、化けの皮をはがしていた。
30代後半。
自分の年齢を思い知らされる瞬間だった。
洗い流したいと思った。
“シャワー使ってもらってもかまいませんよ”
辰夫の言葉が心にしみた。
「あのぉ、ごめんなさい。シャワー使わせてもらっても…」
「どうぞ」
辰夫は、すぐ後ろで新しいバスタオルを持って立っていた。
「すいません」
「いえ、わたしが変なことを言ったせいですから…」
「コーヒーどうぞ」
メークを直した佳美に辰夫はコーヒーを差し出した。
「ごめんなさい、さっきは取り乱してしまって…」
「いえ、わたしが変なことを聞いたからいけないんです。すいません」
「先生の言う通りなんです。もう、ずっと知美とは話をしてません」
「そうなんですか?」
「どうしていいかわからなくて…」
「お母さん、名前で呼ばせてもらっていいですか?」
「は?」
「なんか、お母さんって言うのが照れくさいんです。わたし小さい頃に母親をなくしまして、だから、お母さんって呼んだことがないんです。言い慣れてないもので、どうも、なんか…」
「ご病気か何か?」
「いえ、交通事故だったらしいです。わたしは小さかったので後から聞いた話です」
「そうですか…」
「で、佳美さんって呼んでいいですか?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます。本当に失礼だとは思うんですが、佳美さん、再婚とかは?」
「えっ」
佳美は驚いて声が高くなった。
「いえ、でも、どうしてそんなことを?」
「ずっと別居状態だったって…」
「はい」
「それが正式に離婚なさった」
「それでわたしが再婚すると?」
「余計なお世話で申し訳ありません。再婚なさるにしてもできれば、知美さんの受験の後でと思ったものですから」
「そんなこと…ないです。再婚なんか…」
「ごめんなさい。気を悪くしないでください」
「いいえ。娘の心配をしてくださって、こちらこそ…」
辰夫の気配りに安心したのか、佳美は、辰夫に聞かれるままいろんなことを答えた。
「無理にコミュニケーションを図ろうとしないほうがいいです。彼女はわたしにはいろいろ包み隠さずいろんなことを話してくれるので、しばらく、受験が終わるまでは、こんな感じでいきましょう。何かあったら、佳美さんにはわたしから連絡しますから…」
そう言って辰夫は佳美を送り出した。
離婚の原因は夫に愛人が出来たからだと佳美は答えた。
が、それよりも前に既に別居している。
その理由は答えなかった。
家庭よりも仕事を優先する女には見えなかった。
元ご主人は歯科医で、経済的に困ってもいない。
そんな女が夫と別居までしても仕事を辞めなかった理由。
よく知らない男の部屋でシャワーが使える女。
男がいるのか?
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