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人妻あやの失敗1-2
2.休日出勤
長引く景気の低迷で、どこの会社も削れるものは骨でも削るほどのコストダウンを図っている。
あやの会社も例外ではない。
社員が退社してできたできた欠員を派遣でまかないつつ、近隣に分かれていた分室を統合。
さらに組織を簡略化して、事務部門を一本化。
涙ぐましい努力で人員の補充をせずに済ますつもりだ。
分室に置かれていたあやの部署は、本社へ移転することになった。
移転は、土日、2日間で終わらせる予定で、明日の日曜日は清掃のために全員が休日出勤するが、今日は、あやだけが出勤することになっていた。
家庭があるので、毎日の残業をしないかわりに休日出勤を引き受けたというのが表向きの理由。
夫との関係がギクシャクしているので、休日に家にいたくないというのが本音だった。
「おはようございます。…荷物を運びに来ました」
若い男性が元気よく入ってきた。
引越しの業者さんだ。
「おはようございます」
若い。
あやは、一瞬、恥ずかしさを感じたが、すぐに平静を取り戻した。
あやの部署には、男性はいない。
若い男性と二人きりというのには慣れていない。
「南條って言います。よろしくお願いします」
「風間です、こちらこそ、よろしくお願いします」
こういう挨拶も初めてだ。
「ひとり?」
「えっ?あっ、はい。後二人来てますけど、下の階に大きな荷物があるので、そっちやってます。ここは、僕ひとりです」
(僕…)
ずいぶん、久しぶりにボクという言葉を聞いた。
「えーっと、どれから運びましょうか?」
「段ボール箱にAとかBとか、アルファベットが書いてあるでしょ」
「はい」
「これ見て」
あやは、移転先のフロアに置かれている収納の配置図を南條に見せた」
そこには、収納のラックや机ごとにアルファベットが書かれてある。
「箱に書いてあるアルファベットは、これの中の物なの。だから、同じアルファベットのところに置いてください」
「はい。向こうで、ちゃんと合ってれば、こっちはどれから運んでもいいですよね?」
「ええ。かまわないわ」
「はい、じゃぁ、運びます」
南條が、すぐに同じような大きさの段ボール箱を集めて台車に乗せて運び始めた。
元気のいい声だ。
あやも、まだ片付いていない自分の資料を整理し始める。
南條が部屋を出て行くとすぐにあやは、トイレでメイクを直した。
出勤ではあるが、引越し業務なので制服ではない。
白のパンツにスニーカーというラフな格好。
メイクもちょっと手抜きだ。
結婚してから、ONとOFFの落差が大きくなっている。
(だめだな、ちゃんとしないと…)
部屋中に積まれている段ボール箱。
それが少しずつ減っていく。
南條は、一人もくもくと段ボール箱を運び続けた。
「あのぉ、これ」
不意に声をかけられた。
あやが振り返ると、何条が缶の紅茶を差し出している。
「わたしに?」
「ええ。十時だし、ちょっと休憩」
まさか、お茶をもらうとは思ってもみなかった。
「ごめんなさい。わたしが準備しなけりゃいけないのに…」
「いえ、そんなことないです。僕が休みたいので、つきあってもらおうと思っただけですから…」
「他の方は?」
「今、一便で出ちゃったんですよ。向こうで休憩するって…」
「あら、あなたは置いてけぼり?」
「でかいものばかりで、三人行ってもしょうがないんで…」
プロにはプロのやり方があるということだ。
「これ、遠慮なくいただくわね」
「どうぞ」
「あっ、ここに座って…」
あやは、近くにあった椅子を差し出した。
「ありがとうございます」
たいしたことでもない会話に、ちょっとした緊張を伴う。
あやは、また胸がどきどきし始めた。
「南条さん、この仕事長いんですか?」
「えっ、いえ、バイトなんです」
「そうなの。学生さん?」
「はい」
「何年なの?」
「4年です」
「へぇ、じゃぁ、就職ね」
「そうなんですけど…」
「あら、まだなの?」
「はい」
「大変なの?」
「ですね」
会話が続かない。
話題を変えたいが、思い浮かばない。
「風間さん、今日お休みなのに一人で大変ですね」
「ううん。家にいてもすることないから…」
「バイト、いろいろやってるの?」
「ええ、まぁ、普段は、スポーツジムでインストラクターやってます」
「えっ、そうなの」
「体育会系なんですよ、僕」
「何やってるの?」
「ハンドボール」
「ハンドボール?」
「知らないですよね。マイナーだし…」
「ごめんなさい」
「フットサルって知ってます?」
「ええ」
「バスケットは知ってますよね」
「ええ」
「このくらいのボールをバスケットみたいに、ドリブルとかパスで運んで、フットサルのようなゴールに手で投げ入れるんですよ」
「ああ、知ってる。なんかすっごくジャンプしてやるんでしょ」
「そう、それです」
南條が嬉しそうに微笑んだ。
あやは、自分まで大学生の頃に戻ったような気分になった。
「さっ、また片付けちゃいますか?」
きっちり10分。
南條が立ち上がった。
「南條さん、お昼は?」
「お昼は仲間といっしょにどこかで食べます」
「そうなんだ」
「あのぉ」
「何?」
「僕、高志っていいます。南條高志」
「わたしは、あや」
「あっ、そうじゃなくて…。ふだんタカシって呼ばれてて、南条さんって呼ばれたことがないので、自分の名前なのになんかどきどきしちゃって…」
「あっ、そういうこと。ごめんなさい、わたしったら…」
あやは自分の早とちりに思わず頬が火照った。
「いいえ、僕がちゃんと言わないからで…ごめんなさい」
(ごめんなさい…)
こんなことば、子どものときに聞いたきりだ。
「ううん」
高志が椅子を元に戻し、あやもまた片づけを始めようと立ち上がった。
「あのぉ」
「なに?」
「あやさんって呼んでいいですか?」
「えっ…、ええ、どうぞ」
それだけ答えるのが精一杯。
あやはすぐに目の前のファイルを段ボール箱に詰め始めた。
顔が熱い。
真っ赤に違いない。
いい年をしてみっともない。
とても高志のほうを見られなかった。
高志は、きっと、自分の早とちりをフォローしてくれたんだろうと思ったが、ときめく心臓を止める方法がなかった。