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絵梨の純真1-1
絵梨の純真
第1章
1.距離
「絵梨、いっしょに帰る?」
別に何をするというわけでもなく、ぼんやり教室に残っている絵梨のところにやってきた裕子が声をかけた。
「えっ…。う、ううん。わたしはまだ…」
絵梨は、思い出したように、数学のチャートを開いた。
「テス勉?」
「うん。まぁ…。帰っちゃうと、やらないから、ここで…」
「そう、じゃぁ…。わたしは塾だから…」
そう言って裕子が帰ると、教室には絵梨がひとり残った。
4時21分
(後4分…)
絵梨もまた、テキストをカバンに入れて帰り支度を始めた。
私立桜ヶ丘学園。
中・高一貫の大学の付属校。
まだ創立10年の新しい学校だ。
絵梨も裕子も中学からここに通っている。
中学から上がってくる生徒とは別に、高校でも新規に生徒を募集しているが、中高一貫のカリキュラムの生徒と高校から入ってきた生徒とでは、カリキュラムが異なるため高校の1年間は、別のクラスになっている。
もうすぐ2年になる。
2年になれば、中学からの生徒も高校からの生徒もいっしょになる。
そのクラス分けのためのテストが2週間後だ。
高校から入って来た生徒は、学力的には優秀な子が多いが、カリキュラム上は中学からの生徒に比べほぼ1年遅れている。
その遅れを取り返すべく、彼らには放課後も補習が行われる。
里中直人。
彼も、数学の補習を受けているはずだ。
絵梨は、彼の帰りを待っていた。
絵梨が直人を知ったのは、秋の球技大会のときだ。
男子は、サッカー、女子はバレーボールのはずだったのだが、雨のため、男子がバスケットに変更された。
男女がともに体育館を使うため、リーグ戦の予定がトーナメントに変更されて、女子のバレーボールは早々と敗退したが、バスケット部員が2人いる男子は、2年生のクラスも打ち破り、決勝に勝ち残った。
その相手チームに直人はいた。
身長は、180cmくらいか。
絵梨が見上げる絵梨のクラスのバスケット部の早島健太が182cm。
健太よりも少し低い感じだ。
ただ、はっきり言って、早島よりも直人のほうが動きが早い。
読みもいいのだろう。
何度もパスをカットされた。
そして何よりも圧巻だったのは、直人はダンクを決めたのだ。
負けたクラスは、とっくに教室に帰っているので、この試合を見ていたのは対戦相手の2クラスだけ。
観客といえるほどの人数ではなかったが、その一瞬、体育館中がどよめいた。
まさか、クラス対抗の球技大会でダンクが見られるなどと誰も思ってはいない。
女子の視線がいっきに直人に集まった。
後半、メンバーがそっくり入れ替わり、試合のほうは絵梨のクラスが逆転勝ちしたが、試合後の話題は直人一色だった。
誰ひとり彼の名前も知らなかったのに、翌日には、彼のプロフィールが出回っていた。
「私、直人にする」
裕子が突然、絵梨に打ち明けた。
「えっ?でも、裕子、中沢さんは?」
つい昨日までサッカー部の1年先輩の中沢悟を追いかけていたのに…。
「いいの。別に告ったわけじゃないし…」
絵梨は出鼻をくじかれた。
直人は、彼のクラスでも女子にかなり人気があるらしい。
しかも、今回の試合で、さらにファンは増えたに違いない。
その上に裕子だ。
ルックスでは、絵梨はとても裕子にはかなわない。
絵梨は自分でそう思っていた。
裕子は、即断即決、ものおじしない性格でかなり積極的に男子にアプローチする。
自分のほうから告っていくタイプだ。
それに比べて、絵梨は、優柔不断で、男子と1対1では、ろくに話もできない恥ずかしがり屋ときている。
(あーあ、裕子まで…だめだわぁ・・・とても勝ち目ない)
クリスマスに向けて積極的に直人にアタックしていく裕子を絵梨はただ見ているだけだった。
うまくいかないことを心の中で祈りながら…。
クラスの女子の直人熱は、冬休みに入るまでの2週間で収束に向った。
結局、裕子のアプローチも他の女子の接触もことごとく不発に終わったようだった。
ただ、裕子はまだ諦めてはいない。
ことあるごとに直人の話題だ。
次のチャンスはバレンタイン。
4日後だ。
絵梨は、裕子が校門を出て行ったのを窓から確認してから教室を出た。
直人とは、帰る方向が同じだ。
絵梨は、ゆっくりと校門へと向う。
補習を終えて帰る直人のクラスの生徒が次々と絵梨を追い越していく。
(来た…)
足早に歩く足音。
直人の足音に違いない。
直人は決まって一人で帰る。
歩くのが恐ろしく早い。
絵梨も少しだけスピードを上げるが、すぐに追い越される。
歩いていたのでは、とてもついていけないが、走って追いかけるわけにもいかない。
授業が終わって、1時間半待って、追い越される一瞬、横顔を見て、遠ざかっていく後姿を数分眺めるだけ。
これが今の絵梨と直人との距離。
絵梨は、ふーっとひとつため息をついた。
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