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美菜子の恋1
Body ZoneⅠ 美菜子の恋
俺の名は、工藤俊哉。
こう見えても日本ライト級2位のボクサーだ。
いや、だったと言うべきか。
戦績は、18戦11勝(11KO)7敗。
すごいと言う奴もいる。
ははんと鼻で笑う奴もいる。
どちらでもいい。
もう、過去の話だ。
3週間前、俺の現役は終わった。
7ラウンド、TKO負け。
右目が切れた。
初めてじゃない。
右目も左目も試合のたびに切れている。
試合後、そのまま病院。
縫合が終わって、やっと包帯が取れて、診察結果が網膜はく離…ENDだ。
網膜はく離でも現役を続けている奴らはいる。
金の稼げる奴らだ。
そしてそれは残念ながら俺じゃない。
日本ライト級2位、最終ラウンドの鐘を聞いたことがない。
7ラウンド以降は知らない。
それまでに試合は終わっている。
俺が立ってるか、寝ているかのどちらかだ。
華やかな道を歩いてきたわけじゃない。
アマチュア出身。
アマでの戦績は、15戦3勝11敗2分、さすがに、この戦績をすごいというやつはいない。
ただ、俺と戦った奴らは、口をそろえて、同じ事を言う。
「二度とやりたくない」と…。
プロになっても同じだ。
俺の対戦はなかなか決まらない。
相手がいやがるからだ。
なぜかって?さぁ、そんなことは相手に聞いてくれ。
俺の知ったことじゃない。
俺は、俺のボクシングをする。
それだけだ。
ボディを打つ。
それが俺のボクシングだ。
ひたすら、相手のボディを打ち続ける。
相手は、ボディ打ちのせいで、ガードの下がった俺の顔を打つ。
好きなだけ打て。
打たしてやる。
俺が倒れるか、お前が腹を押さえて崩れ落ちるか、それだけの話だ。
俺は、お前らのあごには興味はない。
実家は、写真屋だ。
デジカメに押された斜陽産業だ。
当分、そこで仕事を手伝うしかない。
今までもそうだった。
何も変わりゃしない。
ボクシングをしながら、まともな仕事なんぞできるわけがない。
減量、試合、入院。
これの繰り返しだ。
そんなやつを雇ってくれる会社なんぞ、あるわけがない。
もう、減量しなくていい。
それだけはありがたい。
血の混じったしょんべんともおさらばだ。
肝臓も腎臓もまともじゃない。
あたりまえだ。
飲まず、食わずで、身体を鍛えながら、最後には、鍛えてつけた筋肉すら落とす。
それも、鍛えながらだ…。
まともじゃない。
正常でいられるほうがおかしい。
こっちのほうが先に壊れると思っていたが、目が先だとは思わなかった。
まぁ、遅かれ早かれ、内臓も時間の問題だ。
治るもんじゃない。
女の夢をみた。
最後の試合のときに、リングサイドにいた女だ。
リングに上がるとき、目があった。
どこかで見た目だ。
ラウンドが終わって、コーナーに戻るたびに目があった。
もっとも、4ラウンド以降は、そっちに顔を向けてただけで、目があったような気がしていただけだったんだが…。
なにしろ、血が目に入って、何も見えなかったからね、その時には…。
7ラウンド、血は止まっていなかった。
止血がきかなかった。
このラウンドで終わりだなと思っていた。
俺の右のアッパーが、相手の鳩尾に入ったとき、奴の右のストレートが、軽く、俺の右目に当たった。
はでに鮮血が飛び散ったらしい。
それで終わりだ。
手ごたえはあったんだが…運はなかったようだ。
俺は、コーナーに座って、リングの中央で、相手の右手が上げられるのを、やっと数ミリ開いていた左目で見た。
奴の手は、高々とは上がらなかった。上がるはずがない。
それを見て、リングを降りた。
あいかわらず、女は俺を見ていた。
正確には、そんな気がしただけだが…。
両脇を抱えられて、何も見えていない俺の目に彼女が見えた。
笑っているように見えた。
嘲笑ではない、ただの“笑み”だ。
意識はあって、自分で歩いていたらしいが、記憶はなかった。
気がついたら病院のベッドの上だ。
どうやら18時間眠っていたらしいが、爽快な目覚めには程遠かった。
ずっと、夢を見ていた。あの女の夢を…。
どうやら、すでに俺の記憶の中にいたらしい。
不思議なことにその女の近くに俺がいた。
今の俺じゃない。
少年の頃の俺だ。
俺が俺を見ていた。
女を見かけたのは、偶然だった。
ほとんど、彼女のことも忘れてしまっていた。
アマチュアで学生の頃はけっこう飲んだが、プロになって、飲めなくなった。
試合後はたいてい入院だ。
退院してしばらくするとまた減量。
飲む暇なんぞない。
どうせ引退するんだ。
医者にはとめられてはいるが、少しくらいはいいだろう。
別に長生きしたいわけじゃない。
まぁ、望んでも無理な話だが…。
オフィス街のはずれの雑居ビルの地下に、小さなスナックがあった。
セント・ジョアン…おかしな名前だ。
俺はそこで、魔女に出会った。